町会親睦旅行 真岡 益子   2016年40日 日曜日

真岡鉄道に乗りました。
50年ぶりのSL、趣ありましたよ!!でも古い技術なのは一目瞭然、いな一乗瞭然、技術的にはほめるところがありません、しかし趣だけは他に類がなく汽笛の音は琴線に触れました。
ここまで古い技術は逆に後世に残るのですね、例えば昭和時代の電車の幾つが100年後に走っているでしょうか?おそらくゼロでしょう、でもSLはこの様な形でいつまでも私たちを楽しませてくれるような気がします、なんたって産業革命の象徴の様な存在ですから。




















岡部記念館 金鈴荘
呉服商、岡部家の別荘として建築された金鈴亭です、詳細は下の真岡市のHPに詳しく出ていますが感想を述べれば繊維産業が国の重要な輸出産業であった時代の繊維商のお金持ちぶりは想像を絶するものであったと言う事、倉敷の大原さんと大原美術館にも驚きましたが真岡の岡部さんもすごい事になっています。
この手の資産家旧宅は地域に寄贈され公開されているものが多くよく見かけますが岡部記念館の金鈴亭の贅沢三昧はちょっと他にないかもしれません。
真岡市HP↓
岡部記念館「金鈴荘」は、回遊式の日本庭園を備え、周囲に地元の磯山石(現在は生産されていない)を使用した石塀をめぐらしています。
建物は、明治中期に岡部呉服店2代目岡部久四郎氏(創業者から数えると3代目)が建築材料等を多年にわたって集め、大工、指物師は出入りの職人を3年間東京で修業させ、十年余の歳月を費やし建築したものです。木造2階建、徹底した防火土蔵造になっています。
内部造作の特徴としては、床の間部分は全て紫檀(したん)、黒檀(こくたん)、鉄刀木(たがやさん)の唐木が使用されています。内部にある書画骨董類は、この地方にゆかりの深い作者のものが多く、矢橋天籟(やばしてんらい:真岡出身)、高久靄崖(たかくあいがい:黒磯出身)の掛軸、額、佐竹永陵(さたけえいりょう:東京出身)の襖絵山水画、宇都宮藩家老の県六石(あがたりくせき)、同じく藤田素堂(ふじたそどう)の天袋、地袋絵や金屏風等、文化財として価値あるものが数多くあります。金鈴荘は、建築してから昭和27年まで岡部家の別荘として、関係者の接待や呉服の展示会場として使用されていました。また、有島武郎の小説「或る女」の女主人公「早月葉子」のモデルといわれている「佐々城信子」が後年暮らした所です。その後、昭和63年6月まで割烹料理店「金鈴荘」として利用されていましたが、同年8月に市が借り受け、真岡市近世百年の歴史・文化遺産として後世に引き継ぐため、岡部記念館「金鈴荘」として保存することになりました。物産会館・木綿工房(現木綿会館)の建物と併せ、平成13年1月に岡部呉服店から真岡市に寄付されました。




























大前神社お宝骨董市

大前神社のお宝骨董市、規模の大きさはそのまま楽しみの多さに比例するわけで流石は東京を除く関東一大きな骨董市です。
主催者のHPは自信満々で以下様に謳っています。
「平成9年1月骨董業者、約50店の出店で開催。その後、お客様のご愛顧と経営努力 により現在約140店の出店があります。東京を除く関東地方の地域で最大級の規模です。
会場が満杯のため、出店をお断りする場合が多くなっています。 出展者は、北は山形県、 新潟県から南は静岡県まで、その他関東一円の骨董品店、食堂、生活用品 の店舗が出店しております。
来場者は年々増加し、現在約1万5千人に達しています。食堂も出店しており、千円程度で一日を 楽しく過ごすことができます」
我々のここでの時間は20分しか取れませんでしたが、いずれ仕切り直しに戻ってくることを誓いました。
さて短時間決戦は一店突破で目を付けた店のみのお買い上げ、写真の碗は明末はありそうな染付磁器です。
























益子共販センター
益子共販センターに来たなら大狸の前でお決まりの記念撮影です。
すぐ隣は怪しげな骨董村、中も商品も超カオス、それがこちらの魅力です。












濱田庄司記念益子参考館
益子に来たならここに寄らなきゃと言う訳で濱田庄司記念益子参考館です。
ここは今日の益子焼の作風を決定づけた濱田庄司の旧宅です、濱田なくして今日の益子焼の隆盛はなかったであろう事はだれの目にも明らか、したがって益子に来て参考館を訪れない事はパリに行ってエッフェル塔を見はぐるようなものです。
私たちは運の良い事に濱田庄司の次男であり片腕と言って過言でない濱田晋作さんにお会いできました、記念撮影にも応じて下さりよい思い出になりました。
さて展示品のほうは濱田が影響を受けた李朝陶器に始まり瀬戸の古陶、琉球古陶など事情通には感動ものです。
また東日本大震災の折被災した登り窯も再建されていました、そして濱田庄司の代表作といえる大皿が割れてしまったことはニュースにもなったのですが流石は庄司さんのご実家なわけで負けづ劣らづの大作が以前より沢山展示されていました。
益子の地はかなりの被災地だった訳ですが復興再建への強い意志が感じられます。